私は第一子と第二子の間に1度流産を経験しました。
私が経験した流産は稽留流産といって、子宮の中に赤ちゃんになる予定の胎嚢が留まった状態で成長が止まっているという流産です。
ただ、初期の初期だったし、胎嚢が確認できただけで、胎嚢の中にできるはずの胎芽と呼ばれる赤ちゃん自体は確認できませんでした。
だからと言って精神的、身体的なダメージがなかったかと言われるとそんなことはありません。
掻爬術とよばれる手術を経験しました。
もし、現在繋留流産をしてこの記事にたどりついた方がいて、まだつらい場合には、あくまで一人の女性の経験談なので、必ずそうなるとは思わずに読んでください。
また無理せず、自分の体を治すことだけに気を向けて下さいね。
そして初期流産は染色体の異常が原因のことが多く、妊婦さんの行動で結果が左右されるものでもないということは知っていてください。
今回は稽留流産の経験を振り返ってお話ししようと思います。
不妊治療の経験
二人目不妊という言葉がありますよね。
私も転職や子育てで忙しかったせいか、長男出産後には2人目がなかなかできませんでした。
長男を出産後、転職を経験したこともあり、1年間は仕事に専念しようと避妊を実施していました。
そして、転職先での仕事も落ち着いてきたので、そろそろ二人目を考えようかと思っていたのが、転職後2年目です。
ただ、仕事も忙しく、なかなか子宝に恵まれなかったため、不妊治療にも通いました。
不妊治療のクリニックへ通い始めた年齢は32歳。
仕事と長男の育事を並行して、不妊治療のクリニックに行く時間配分が難しかったため、通うこと自体にも疲れていたように思います。
夫にも保育所の迎えの分量を増やしてもらい、上司に残業ができない日があることを伝えて、仕事の調整をしていました。
クリニックでは、タイミング法を実施しながら、並行して検査もすすめました。
検査内容的にはホルモン値の検査や、卵管造影検査も実施しました。
特に不妊の明確な原因や問題点は指摘されずに経過していました。
ホルモン値も年齢よりは若い状態であると検査結果を説明されました。
特定の原因がない不妊自体は多いと知りながら、「じゃあなんでできひんのかな…。」と手段がないと言われているようでもありました。
卵管造影検査の後は妊娠の確率が上がりやすいと言われていることをご存じでしょうか?
ただ、造影検査の際にも痛みを全く感じず、特に卵管が詰まっていることはなかったです。
そのためか期待をした卵管造影検査後ゴールデン期間と呼ばれる3か月の間にも妊娠はしませんでした。
しかし、タイミング法を続けていて、そろそろステップアップの時期かという時に妊娠しました。
妊娠発覚に喜んだというよりは、もうクリニックへも通わなくていいんだと、ホッとしたというのが本音です。
ただ、妊娠が発覚したのは妊娠4週程度の時。
不妊治療に通っていたからこそ、妊娠に気づくのが早すぎたのだと思います。
妊娠検査薬で陽性がでて、すぐに産婦人科へいきました。
産婦人科で胎嚢が確認されました。ただ、胎芽は確認できていない状態。
なんとなく嫌な予感はしました。
そのため、自宅へ帰ってからも何度か妊娠検査薬を実施しました。
妊娠5週目あたりで、妊娠検査薬が以前より薄いことに気づきました。
6週目あたりで再受診をしましたが、その際には胎嚢の大きさもあまり育たず、胎芽が見えないため稽留流産の可能性があり、来週に再検査ということでした。
そして、7週目には稽留流産であるという診断がつきました。
正直、「やっぱりそうか」という感覚がありました。
長男の時の妊娠では5週、6週はもうつわりで動けないような状態でした。
そのため、今回の妊娠ではつわりが来ないなとずっと思っていました。
掻爬術までの体調
流産の診断がおりてからも、仕事へはいつも通りに出勤していました。
掻爬術をしなくても、自然流産として出血がおこることがあるということでした。
自然に出てくることを待つこともあるようですが、私は掻爬術という手術をしました。
自然流産だと中に残留物が残る可能性があるので、手術でリセットして取り切ってしまった方が良いということと、自然流産の場合はいつ起こるかわからないため、仕事中に起こった場合出血や腹痛で仕事に支障がでることが予想されるため、掻爬術をすることにしました。
ある日、仕事へ向かう途中に、腹痛にみまわれました。
かなり痛みがあり、道で少し休憩をするほどでした。
「あ~流産が始まったのかもしれない」と思いましたが、なぜか「仕事へ行かないと!」と思い詰めていた私。
途中職場の同僚の看護師さんに「大丈夫?」と声をかけられ「流産が始まっている」とも言えずに「大丈夫です」と返しました。
今なら「休んだらいいよ」と昔の自分に言ってあげたいくらいですが、気合を入れて出勤したことを覚えています。
ただ、出血はそれほど多くなかったため、痛み止めを服用し、その日の勤務は全うできました。
気持ち的には、流産している途中でも仕事をしないといけないという状態はつらくはありました。
その時には実感がなかったのか、笑顔で人と会話することも、いつも通りにふるまうこともできていました。
仕事が終わってから、少しのことで長男をしかりつけている自分がいました。
「あ~今日つらかったのかもな」と思いましたが、それも吐き出せずにあたってしまっていたと反省しました。
掻爬術について
掻爬術とは中絶手術と同じ手術方法で、子宮の中のものをかき出す手術です。
日帰りで行う病院もあるようですが、私は1泊2日の入院で手術をしました。
手術前日に入院し、手術後麻酔が覚めた時点で退院です。
前日にラミナリアと呼ばれる処置を受けました。
ラミナリアは子宮頸管と呼ばれる子宮の入り口を広げる処置です。
ラミナリアの処置はネット上では「痛い」という声が多かったですが、私は痛みは強くなく違和感がある程度でした。
歩行も可能で、ラミナリアを挿入した状態で一夜を過ごしましたが、特に痛みが強くなることもなく経過しました。
ラミナリアの痛みは個人差が大きいようですね。
看護師さんからは痛ければ鎮痛剤の処方も可能と声をかけてもらいましたが、特に必要なく手術日になりました。
手術の際には静脈麻酔で、点滴から麻酔をいれました。
医師の先生が「お酒は強い方?」と話しかけているあいだに、「いや、そんなには…」と答えている間に意識がボーっとしてきてうっすら意識がある状態まで覚醒が落ちました。
その状態で手術を開始し、掻爬術の感覚はうっすらあるかなという感じ。
ただ、手術をするまでは冷静な振りができていたのに、手術直後には麻酔から覚める吐き気と悲しみで涙が止まりませんでした。
あの時に何も言わずティッシュを渡してくれた看護師さんには感謝です。
麻酔から覚め切る前には嘔吐がつづき、冷や汗が出てしんどかったのですが、覚めてからは自力で歩いて退院することができました。
掻爬術は入院したこともあって、医療保険が適応されました。
手術で体調もつらいところに、手続きが面倒ですが、忘れずに保険を申請して下さい。
手術後の体調
夜は自然と涙がこぼれてくることもあったし、職業柄(リハビリ職)人を支える職業なので、仕事をしていなかったらどうだったのかと考えることもありました。
でもこれは15%の人に起こる、自然淘汰であって仕方のないことだったのだと思います。
超音波診断が主流となっている現代だからこそ早めに妊娠が発覚し、そのためにできた診断名かもしれません。
流産が分かった後も術後も仕事には行っていましたが、いつものように笑えない自分もいた気がします。
重い物を持たなければ、手術の翌日から働くことも可能と言われましたが、職場に相談し、術後二日間は休みをいただくことになりました。
手術前は入院日があったので、4日間はお休みをいただけました。
心も体も休める時間をもらえたことは良かったと思います。
無理をせず、休める時には休む方が良いと思います。
術後二人目の妊娠
私は稽留流産のための掻爬術後に1か月で妊娠しました。
そのため、少し子宮の状態は悪くないのか?胎児は大丈夫か?と心配していました。
本当は医師には3か月くらいあけてくださいと言われていました。
今までもなかなかできなかったので、そんなに簡単にはできないだろうと思っていた時の妊娠でした。
手術をした産婦人科へ通いましたが、特に術後から期間をあけなかったことにコメントはなく「大丈夫ですよ」と言ってもらってホッとしました。
その後、生まれたのが第2子である次男です。
元気に産まれてきてくれたことに感謝です。
流産の経験や、不妊治療などにより生まれてくる時期は、結果的に4歳差になりました。
四歳差で産んで結果的には、それぞれの子育てに集中できる期間が長く、良かったなと感じています。
まとめ
今回は私の稽留流産の体験談についてまとめました。
当時は不妊治療に通ってやっとできたという思いがあったため、つらいものでしたが、現在は「しかたなかった」と冷静に受け止められています。
現状で悩んでおられる方は何を言われても頭に入らず、つらいと思いますが、時間が癒してくれると信じて下さい。
そして、自分の体と心を休めて下さい。
仕事をしている方も、平気なフリがしんどいようなら、無理せず休んでください。
経験をして思ったことを書き連ねましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。
また笑える日が必ず来ます。